こころの悩み


■こころの悩み
第1回 悩みって何?
第2回 不安って何?
第3回 「本当の自分」を探したい
第4回 もう子どもじゃない…んだけど
第5回 人の声やまなざしが怖い
第6回 自分の身体は自分のもの ~リストカットっていけないこと?~
第7回 家族の愛情って…
第8回 これっていじめなの?
第9回 これ虐待?!
第10回 家族が分かってくれないの
第11回 友だちとうまくいかない
第12回 学校に行きたくない
第13回 自分に自信がない…
第14回 ハマッてます!
第15回 ネットゲームの毎日

■第1回 悩みってなに?

Q:僕は「ネクラ」って言われるんです。なんかいつも下向いて考えてるし、自分に自信がないし、何になりたいのかとか、何かしたいのかとかはっきりしないから、結論も出ないことをいつも悩んでいて、すっきりしません。悩みなんてない方がいいんですよね。

A:今は、明るい子が好まれて暗い子は「ネクラ」と嫌われる気がするのですね。悩んでいる自分が情けないような気持ちになっているのでしょうか。でも、一生の間に一度も悩みのなかった人はいないでしょう。人は「思うようにいかない」「思うようにならない」「こんなハズじゃなかった」という今の状況から、常に自分の納得できる状況への変化を目指しているのです。そこに悩みが生じます。

悩むことは、私たちの日常生活で必ず経験することで、ごく当たり前のことです。そしてこの何かスッキリしない不安定になってしまった自分を、安定してスッキリした自分にしたい(なりたい・戻したい)と思っているのです。つまり悩みとは、「(心地よい)理想」と「(不快な)現実」とのギャップによって生じるものといえます。

このように考えると「悩み」とは、赤ちゃんが不快な状況で泣くことと類似していますね。ただし、赤ちゃんと違って、悩む人は「解決したい」という意志を持っています。私たちは不快な状況や環境に働きかけて、「悩みを打ち明ける」などの方法によって、慣れ親しんだ安定した自分を早く取り戻そうとします。それは大切なことでしょう。

だからまず、「悩む自分に悩む」のはやめて、「悩みがあるのは当たり前で大事なこと」と、「悩む自分を認めて」あげましょう。そこから少し風が通ってゆきますよ。

■第2回 不安ってなに?

Q:このごろ、何かはっきりしないんですけど、起きたときにいや~な感じがして、不安で落ち着かないんです。学校は頑張って行ってますけど、息苦しかったり、胸が苦しかったり、人と会いたくなかったりするんです。これって病気ですか?

A:「不安」で落ち着かない気持ちなのですね。不安とは漠然とした何かハッキリしない恐れとして感じられる情緒的混乱のことをいいます。それに対して、恐れの対象がはっきりしているものを「恐怖」といいます。

そしてこの不安の感情は、身体を借りて動悸、息苦しさ、胸部圧迫感、発汗という症状になってSOSを発信します。つまり不安は、あなたのSOSを教えてくれるありがたいメッセージでもあるのです。

しかし、その症状が繰り返されると、「深刻なうつ病にみられるイライラを伴う不安」や「パニック障害にみられるような息が詰まった命に関わるような不安」など深刻な不安になっていきます。そして抑うつ状態には「落ち込み」「ブルー」「こだわり」「怒り」「いたたまれなさ」「自信喪失」「心細さ」「罪の意識」など様々な不安の心理状態が加わります。症状をそこまでこじらさないうちに、身体のSOSに気づいて、早めに休息を取ったり、話を聞いてもらったりしましょう。

不安のきっかけとしては、「何か失ったり」「何かうまくいかなかった」ことばかりでなく、「昇進して責任がかかる」ような場合もあります。また、人間関係や社会生活の中での「傷つき体験」が癒されないまま、心の中に根を張ってしまう場合もあります。

不安は、さらに強くなってくると、こだわりが激しくなり、同じことを何度も何度も考え、答えが見出せないまま悶々とした日々が繰り返されることもあります。そしてその苦しさから逃げようとしてインターネットやチャット・サイトなどメディア中毒に陥ったり、タバコやアルコールに手を出したり、だらだらと時間が過ぎていくことが多くなり、効率の悪さが目立ってきます。そのことから自分を責めたり、他を責めたり、思い通りにならないことがストレスになり、口数も減って、引きこもったりしてしまいます。当然、家族内のストレスも高くなり、日常生活の緊張が高まり、家族状況も、うんざり感を伴ってきます。こうなると、うつ状態といえるかもしれません。

さて、そんな時どうしたらいいかですが、まず誰かに話しを聞いてもらうこと、聞いてくれるような人を見つけることです。そして、「自分はさぼっているわけではなく自律神経の失調であること」を自覚し、「頑張りや根性でどうにかなると考えるのをやめること」です。心と体がゆっくり休むためには薬が必要なこともあるでしょうし、家族や学校が、「励ましたり叱咤激励したりせず、頑張りを求めたりしないこと」も肝心です。

■第3回 「本当の自分」を探したい

Q:学校やうちで見せている自分って、本当の自分じゃない気がする。だから何が本当かって言われると分からないけど、自分らしくないって言うか、窮屈って言うか。いい子ぶってる感じがして、時々そんな自分がたまらなく嫌になることがあります。こんな自分を壊して、生まれ変わりたい!

A:思春期は理想的な満足を得られないことが分かってくる上に、理想的な自分を生きていないと感じていたりします。そしてあなたのように「これまでの自分でやってゆくのはもう限界で、このまま同じ事を繰り返しやっていくことは無理…」と感じたときに、本当の自分は自分の外にあるように思うと、それをつかんだらもっと楽だろうと思ってしまうのです。

そんな時はたしかに「いまのままではもう無理」なのですが、その、今のあり方の中にそれ迄のその人の生き方や考え方、周囲との折り合い方など全てがあるわけですから、新たな生き方へと切りかえることは考えるよりはるかに困難でもあるのです。例えば、今まで認めてもらうために必死に期待にこたえようとしてきたという自分に気づくことは、その人にとって悲しい辛いものです。

だから「不完全な自分を自分であると受け入れる」ことがその人らしく生きる鍵であるにもかかわらず、それを避け、「より完全な自分こそが自分である」という「見せかけの自分」の為に必死にあがいてしまうことがあります。本当の自分探しなどということは、本当は不完全な自分と向き合い、投げやりにならずに受容する覚悟がなければならないというきついかもしれないと覚悟しましょう。

しかしながら、不完全な自分であることを受け入れることを「自己受容」といい、この自己受容こそがその人の人生を保障する<最大の力>となるのです。人間にとっての本当の自分、理想的な生き方とは、現実の<不完全な自分>への誇りをもって<広大な宇宙に唯一の自分>を受け入れるということではないでしょうか。あなたがそこまで覚悟して歩むなら、生まれ変われるかもしれません。

■第4回 もう子どもじゃないんだけど…

Q:中学生になれば、もう子どもじゃないと思うんだけど、自分の好きなことをするにもまだ親からお金を出してもらわないといけないし、社会ではまだ子ども扱いでバイトもできない。といって昔みたいに「サッカー選手になる」とか「野球選手になれる」とか思えなくなって、政治家や研究者も向かないし、「結局普通のサラリーマン?」って思ったら、何のために勉強しているのかなって、バカバカしくなってきちゃった。

A:思春期は自分や周囲への認識が理想から現実へと大きく変化してゆく時期です。そしてその変化に対して「それまで自分の周りにあった状況を失い」「新しい状況へ適応しなければならず」「しかもそこで安定した満足・充足を見出していけるかどうかが分からない」ので不安になるのです。つまり、成長するということは広い意味で「それまでの居場所を失う(対象喪失)」ことを含んでいるのです。 

しかし、私たちの人生は振り返ってみると対象喪失のくり返しなのかもしれません。まず、誕生と共に母親の子宮に守られた環境を失い、次に離乳で母親の乳房を失い、オムツ離れの時期には、他人による身体的世話とコントロールを失うわけです。結局、人間は大切なものを失う体験を経て、自分の力で歩きはじめるという歴史を担っているのかもしれません。

つまり私たち人間は、他人から得られていた幼児的な満足を段階的に失いながら、自立を手に入れていくことになるのです。でも、その「自分で手に入れてゆく自立」に自信を失ったり、それまでの満足を失うことが不安になったりしたときに、今の自分のしているすべてが虚しく感じて、その原因を周りのせいにしたくなるのでしょうか。

ですから、なんだか今していることがバカバカしく感じた時は、「いままで持っていた何を失ったのだろうか?」あるいは、「これからの何に不安を抱いているのだろうか?」と自分に問いかけて、自分を見直すきっかけとしてみるといいのかも知れません。そして、「子どもではなくなる」「思春期を抜けてゆく」とは、「等身大の自分」を受け入れてゆくということなのだと思ってみましょう。

■第5回 人の声やまなざしが怖い

Q:このごろ人の目を見て話せないんです。どうしても視線を避けてしまって、でもそうするとそのことで私がその人を嫌っているかと思われたんじゃないかと気になって、友だちの声が突きささる感じなんです。休み時間なんか、からだが固まってしまって動けなくなる感じで、どうしたらいいのか…。

A:それまで気にならなかった人の目が気になり出すと、何もかもギクシャクしてきて、身体すらうまく動けない感じがしてしまうのですね。思春期は他人の評価の中に自分の価値を見いだそうとして他人の目が気になる時期だともいえますから、あなたのような症状の方は少なくありません。

人は周囲から「よく頑張ったね!」「あなたはすてきな人だ!」などと誉められることで自分の存在が保障されていきます。これは、ごく普通で当たり前の親子関係の特徴としても理解できますが、「不完全な自分であるけれども認めてもらえている」と感じているか、「完全で、他人からの評価と賞賛を得ることによってしか、認めてもらえない」と感じているかで大きく違ってきます。後者は、<不完全な自分>に目をふさいでしまっていて、<真の自分>を生かせない状態といえます。

例えば、若い人たちの中に「自分を他人の欲望に差し出して、安易にお金を儲ける人」や「容姿やスタイルに過剰にこだわる人」「格好や持ち物に過剰にこだわる人」などがいます。若い人たちは「自分はそれでいい、それで何が悪いのか?」と言うかもしれませんが、これは「他人の目(憧れのまなざし)」や「他人の声(賞賛やささやき)」に過剰な意識が向き、他人の欲望にあわせようとしてしまっているにすぎないことに気づいてほしいのです。そんなあなたの中に「あなた自身に認めてもらえていない真実のあなた」がいませんか?

しかも、この他人の<まなざし>と<声>に縛られた状態でいるあなたは、<他人からの評価>を得られない時に深く傷ついてしまうことがあるでしょう。そしてこの傷つき体験は、その人に他人の<まなざし>と<声>を恐怖の対象として感じさせてしまいます。この感じ方が強くなると<人から見られる>ことや<人の話し声>を「他人からの否定や拒否」と感じ取ってしまい、恐怖心から人を避けて、引きこもってしまうこともあります。

そんな繋がりを自分の中に感じたら、「不完全な自分を受け入れる」というベースに戻って、「自信のない、不完全な小心な自分」を少なくとも自分だけは認めてあげて、そっと抱きしめてあげてはどうでしょう。あなたはあなたにとって唯一の大切な存在なのですから。

■第6回 自分の身体は自分のもの ~リストカットっていけないこと?~

Q:リスカしてます。なんか、そのあとは少し落ち着くというか、自分の中にたまっていた何かが抜けてホッとするというか、そんな感じなんです。
自分の身体だし、人に迷惑かけるわけじゃないし、親は怒ったり泣いたりバカにしたりするけど、そんなにいけないことなのかなぁ?

A:いま、あなたの中に「何か」がたまってしまって、それを抜かなくてはいけないんだろうなと思います。でもそれは、あなたのせいじゃないし、今あなたが「傷つける」という手段しかみえなくなっていたとしても、それはあなたがバカにされる理由にはならないのです。たしかにあなたの身体はあなたのもので、あなたの感覚もあなたのもので、あなたへの痛みもあなたのもの。だけど絶対に、あなたは傷ついて構わない存在なんかじゃないのです。

わたしたちは、あなたがあなたを傷つけることはやっぱり悲しいなと思います。だって、そのことであなたが確実に傷ついていくし、し続けることであなたの身体と心は、もっと傷ついていくからです。身体の傷も、心の傷も、実はだんだん深くなるし、深くなるとなかなか消えてくれません。そして、消えてくれない傷を忘れることは、とても難しいです。あなたが傷によって少しホッとして落ち着いた気がするその隙に、あなたの中で「未来に期待することや大切に思うことを諦めて捨ててしまいたくなる気持ち」が少しずつ拡がっている気がします。それは、とても悲しいことです。だからやっぱり止めたくなってしまいます。

人ってみんな、きっとどこまでいってもどうしようもなく不完全で、それを受け入れたつもりでもやっぱり苦しくて、はまりこんでしまったら戻って来られないような気にさえなってしまって、大切になんて感じられなくなってしまうことってめずらしくはないのかもしれない。でも、だからってあなたがあなたに罰や戒めを与えなくていいのです。いま自分を罪だと感じてしまうのなら、許せるまでその気持ちを寝かせておいていいと思うのです。はけ口も、自分の身体に向けなくていい。あなたが叫び声をあげていい場所は必ずあります。自分が生きていることさえ分からなくなったら、とても天気のいい日に太陽を正面から見つめて、それから軽く目を閉じれば、あなたの中に流れる血は赤くて、ちゃんと流れていることが見えますよ。

時間はかかるかもしれないし、たまにキライな気持ちが出てきてやっぱり傷つけたくなっちゃうこともあるかもしれないけれど、「自分のこと大切に思ってあげてもいいかな」って感じられる瞬間がきっとくるから、それを一緒に少しずつすくいあげていきましょう。不完全だっていい、情けなくってもいいんです。いまあなたがヨタヨタとでも生きていてくれること、それだけで嬉しいのですから。

■第7回 家族の愛情って?

Q:親は普通高校に行って大学に行った方がいいって言う。でも、自分は車とかメカとかが好きだし、そういう勉強ができるところで早くから技術を身につけたほうがいいと思うし、そう思いながら普通高校の勉強するのって遠回りだと思うんだ。
でも親は「お前はまだ子どもだ」「社会を知らない」とか「考えが甘い」とか言って全然話しにならない。

A:親は自分の社会経験をもとに子どもの進む道にアドバイスをするけれど、子ども自身は「自分の道は自分自身で決めたい」と思うのですよね。近道が必ずしも最善なわけではなく、遠回りに見えることが、実はあとで役に立つことは多くあるんだけど、それが自分の考えを否定される形で出されるとなかなか受け入れられないですね。

親子は世代も利害も違うわけですから、摩擦が起こることは仕方ないことかもしれませんが、親の期待に答えようとする自分と自分自身でありたいと思う自分との間で自分の中にももつれが生まれます。

例えば、母親が「我が子は何不足ない完璧な子どもになる」と思っているとします。すると子どもに「何不足ない完璧な人間になれる」という幻想を生み出させてしまい、子どもは「完璧でない自分は母親の想いに叶っていない」と感じるようになってしまうのです。逆に、「我が子は不完全で将来心配な子どもである」という不安を大きく抱えた母親の想いの中にも基本的には「何不足ない完璧な子ども」を求める幻想が隠れているうえに「不完全な我が子には自分がいつまでも必要である」と思いこんでいることもあります。

つまり親と子どもの間では、想いや期待・愛情として顕れているものの背景に、実はお互いの欲望が絡み合って、相手を自分の欲望に合わせようとしたり、自分自身を相手の欲望に合わせようとしてしまったりする関係があるようです。これは多かれ少なかれ誰の生育歴にもあることかもしれませんが、そんなことに思春期で気づいた子どもはその葛藤の中にはまりこんでしまいます。思春期はそれに気づいて離反を試みる時期ともいえるでしょう。

また、思春期はそれまでの児童期のような理想的な満足を得られない状況が生じてくる上に、子ども自身も自分は理想にはなれないと感じていたりします。その時に子どもたちが「自分の理想がうまく実現しないのは、親が不完全で、満たしてくれないからである!」と親のせいにしたりすると家庭内の暴力などに結びつきます。さらに親も「必要なことは無理してでもしてあげたのに、怠けたのはお前自身ではないか!」などと子どもを責めてしまうと親子の関係は泥沼になります。 

もつれや葛藤自体は必要不可欠なものとして、それらのもつれを丁寧にほぐしてゆく時間と関係がもてるといいのでしょうね。

■第8回 これっていじめなの?

Q:僕にとってはAくんは大事な存在です。彼の機嫌が悪いと、僕の日常はめちゃくちゃにされるから。
でも、彼は気分屋で僕がうまく立ち回らないといけないので、結構スリルがあります。
先生より僕の方が彼のことを分かっていると思うし、他の友だちより僕は彼にとってな必要な人間だと思う。
この前、缶コーヒーを買ってこいと言われて、買ってきた新製品が甘くなかったのでAくんが怒って、蹴られたのがあざになって親に見つかって、「いじめられてるの?」って言われたけど、これっていじめかな?
Aくんは「親友だろ?」って言うし、ケガした時は「わりい、わりい」って一生懸命謝って家まで連れて帰ってくれるし、僕が泣いてしまうと「冗談だよ。遊びじゃん!」って言うからいじめじゃないと思うけど…。

A:Aくんとの関係がきみの日常においてとても大きなものであることはよく分かります。しかし、このなかにはいじめの構造が隠れているようにも思います。どんな構造か一緒に振り返ってみましょう。

いじめは、まずいじめる側の子がいじめのターゲットを決め、その子のささいな欠点をあげつらうことで孤立化させます。

その後に、あれこれと理由を見つけてはその孤立化を絶対的なものに強めてゆき、さらにその子からの反抗に対して、それより大きな報復をすることでその子の無力感を強めてゆきます。その無力化は「今、心の中で反抗しようと思っただろう?」と因縁をつけるという形にまでエスカレートし、相手の心の中まで支配しているということを誇示します。ここに至るといじめられている子は「自分は無力であって、誰も助けてくれないから、この相手から攻撃されないためにはこの相手の機嫌を損ねないように最大限の注意を払わなければならない」と思うようになります。

そして、毎日のように繰り返されるいじめはやがて「Aくんからいじめられないこと」が「Aくんのおかげ」と感じるようになり、Aくんの機嫌を損ねないで過ごせたことが自分へのごほうびに感じるようになってしまうのです。さらに一言でも優しい言葉をかけられたら、その人が自分にとってかけがいのない人のように感じてしまうような錯覚が起こります。

そして、こちらが一生懸命にやったことを、一瞬のうちに踏みにじることによって「おまえは自分にとって小さな存在でしかない」ということを見せつけます。このような構造は、DV(ドメスティックバイオレンス:夫婦間の暴力)やアル中の夫と妻の関係に似ています。

つまり、もし、ここまでお話ししたようなことがきみとAくんの間に思い当たるなら、DVやアル中の夫と同じようにその友だちとの関係自体が治療が必要なレベルにあるということです。

Aくんが悪い子だというつもりはありません。Aくんしか見えなくなってしまって、しかもそこで辛いことが起こったら危険ですから、その前にきみ自身に気づいてほしいのです。

そして、きみの周りに他にもそんな様子が見られたら、そっと大人にSOSを出してください。きっと力になってくれる大人はいるはずです。最初にいじめに気づけて、直せるのは本当は子どもたち自身しかいないのです。きみがいち早く気づいて、いじめを止められるクラスにしてください。

■第9回 これ虐待!?

Q:父親と兄が私をむちゃくちゃ叩いたり、蹴ったりする。それから私が気にしてる嫌なことしょっちゅう言う。
この前なんか、私がお風呂に入ってたら、兄が覗いてた。お母さんに言ったら「あんたがちゃんと閉めておかないから」って私が悪いみたいなことを言う。こんな家、絶対出てやる!

A:叩いたり蹴ったりや、言葉で嫌なことを言われる、身体を触られたり性的な事を強要されたりすることは「虐待(ぎゃくたい)」とよばれるものです。これは法律で禁止されている事で、虐待を受けている子どもは保護される(安全なところで食事や学習を保障される)権利があるのです。

叩かれたり蹴られたりは、たいてい叱られるということと一緒に起こるので、子どもは「自分が悪かったんだから仕方がない」と思いがちです。しかし、おとなが言うように「叩かないと分からない」なんて事はめったになくて、おとなの側の怒りのはけ口になっているだけである事が多いのです。だから、親をかばって隠したり、自分を責めないでください。

また、言葉や態度によって傷ついた心の傷は身体の傷と違って見えないので、子ども自身が話してくれないと分かりにくいものです。性的虐待は「恥ずかしい」という気持ちが壁になってさらに話しにくいために表に出にくいのですが、それでも児童相談所への相談件数はこの10年間で3倍に増えています。

大切なことは、これらの虐待は(虐待している大人も含めて)「助けが必要」なこと、その助けを求める事ができるのは子ども自身である事です。あなたが家を出ることも助かる道の一つかもしれませんが、生活の足場を失うことになると別の辛さもあるかもしれませんね。

まずあなたの気持ちや痛みが分かってくれる人(親戚の人や保健室の先生)を見つけてください。そしてSOSを出してください。それは虐待している人を罰するためではないのです。あなたもその人も助けられる道を探すためです。

次のような24時間の相談窓口もあります。
・えがお館(こども総合相談センター)092-833-3000
・虐待防止センター(F-CAP) 03-5300-2900

■第10回 家族がわかってくれない

Q:うちの親って全然私のこと分かってくれないの!私は○○になりたいのに、「無理無理!」とか「家のことも考えてよ」とか言われて、結局私のしたいこととか進学とか何もできない。
そのくせ親は勝手なことばかりして、無駄使いばっかりしてるんだから!私がいなくなっても、きっとこの家族はこのままやっていくんだろうな…なんて思ったら、そんな人生って価値があるのかな…。

A:あなたはしたいことがあるのに、家族は分かってくれないのですね。あなたのやりたいことは反対しておいて、親は勝手なことばかりしているように感じると、何もかもつまらなく感じてしまうのですね。でも、あなたはあなたの人生をあなた自身が生きてゆくために生まれてきたのです。その人生に価値があるのかないのか…それはあなたが生き抜いてみてからしか分かりません。親の期待に応えることは悪いことではないけれど、あなたは応えるために生まれてきたわけではありません。あなたのキモチが「心地よい」と感じることを大切にした上で、でも今は生活を支えてくれている親とどう折り合いがつくのかどうかという順で考える方がいいかもしれません。

人には人の数だけ顔があるように、家族には家族の数だけ家族の顔があります。そして親には「自分勝手」だと言われている子どもたちが、実はとても家族のことに気持ちを砕いているということも多くあります。親や大人たちが思っている以上に家族のことに気を使い、何とかしたいと願い、心を痛めている子どもたちもたくさんいます。

親と子どもは、文字通り「親子ほど年が離れている」のですから、全部分かり合えるなんてことはあるはずないし、大人もかつては子どもだったのに、自分の子ども時代のことは忘れたり美化したりしやすいものなので、よく聞いてみると結構やんちゃなことをしていた人もいたりします。でも、「初めから大賛成してもし失敗したら…」と思うから、まず慎重に引き留めてみるという判断もあります。また、親に反対されて簡単に諦められるくらいの夢なら、ちょっと困難な事にであったときに潰れてしまうかも知れません。親はまず最初のハードルですが、そのハードルにぶつかってもみないで次を考えることはできないでしょう。

親や先生が子どもを理解することも大事ですが、親や先生がちゃんと乗り越えるべき壁になってやることも、同じくらい大切です。また、子どもがその壁に正面からぶつかってゆくことも。 
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■第11回 友だちとうまくいかない

Q:今まで仲がよかったAちゃんが、陰で私のことを悪口言ってたって分かって、人間信じられなくなっちゃった。それを教えてくれたBちゃんって、A ちゃんが「うざいよね」って私に言ってた相手なんだよ。そんなBちゃんにAちゃんが私の悪口言ってたんだって思ったら。AちゃんともBちゃんとも話しした くないし、学校行っても面白くない…

A:こんな状況が、日常的におこっているのが今の学校の中の友だち関係なのでしょうか。
子どもたちにとって一番気になる大切な人間関係は、おそらく「友だち関係」ですから、友だちとうまくいっていると勉強なんて分からなくても毎日が楽しいけれど、友だちとうまくいかないと、他の事までつまらなく感じてしまって元気がなくなりますね。

その上、そうなるとうまくいかない自分が悪いような気がしてしまって何もできないような気持ちにもなってしまうのではないかと思います。友だちって本来 「自分で選べる関係」のはずで、親や先生と違うところはそこなのですが、今の子どもたちの中では、その自由さがなくなっているのではないかと心配です。

「友だちはこの人しかいない」「嫌われたら終わり」…なんて感じて、行き詰まっている人も意外と多いようです。

でも、その人だけが友だちじゃないし、同じクラスや同じ学校だけが友だちの居場所じゃない…と考えてみると、あなたの周りには、友だちになれるかもしれな い人がたくさんいることに気づいてください。保育園や幼稚園時代に仲がよかったけど、他の学校に行っている子とか、習い事で一緒だった少し年上のあの子と か、どこかのキャンプで一緒だったリーダーのお姉さんとか、少し違った人間関係の中で考えてみると、案外自分の世界も拡がるかも知れませんよ。

そんなきっかけをつかむためにも、気持ちが一杯一杯につまってしまっているように感じたら、誰かに話してみてください。話すとその話した分だけ気持ちにす き間ができて、固まっていた思いが少し動き出したり、よどんでいた空気に少し風が通ったりするように感じます。他の誰かに話す事が難しかったり、身近な誰 かには話す勇気が出なかったりしたら、もしもしキモチにメールするか電話してみてください。

■第12回 学校にいきたくない

Q:いま学校に行っていません。よく「何があったの?」って聞かれるけど、特に何があったからとか、いじめられたからとかいうんじゃなくて、周りのモードと合わなくなったっていうか。
なんか、したいことがそこにないっていうか。家にいて、パソコンとかやっていると嫌なこと忘れるし、世界の情報は得られるし、それでもいいかなって感じ。もう少し、自分に自信ができたら行くかも知れないけど、休んでた間の授業も分かんないし、行きたくない。

A:何があったということではないんだけど、いま、学校に行っていないのですね。

不登校は年々増えていて今は100万人を超えると言われ、学校が楽しくないと感じている子どもも増えています。学校は(義務教育といわれる小中学校でも)行かなくてはいけないところではないので、学校に行く事が自分にとってとても辛い事なら、まず休んでもかまいません。でも、同年齢の仲間たちがたくさんいて、必要な知識を効率よく提供するシステムがあるという事では、行っていた方が便利な事も多いというくらいに考えておく方がいいかもしれませんね。

思春期はこころの大きな転換期になりますから、極端に言えば何が起きてもおかしくない年頃なのです。不登校の子どもは、それを不登校という形で表現し、ある子どもは視線恐怖や対人恐怖、うつ状態などの症状として表しているのでしょう。

子どもたちは、人生経験はもちろん大人より少ないのですが、だからといって深く考えていないわけではありません。むしろ、現実社会に染まっている大人よりも一つの物事を深く考えているともいえます。でもそれを大人に伝わる言葉で表現することが難しく、そのために大人に理解されることがほとんどないのですよね。

不登校は学校だけの問題ではありません。また家庭だけの問題でもありません。しかし、一度きりの自分の人生を自分で生き抜いていくしかないかぎり、思春期という大きな節目にほとんどの子どもが学校という居場所にいるので、それが不登校という形をとって表れやすいのでしょう。つまり不登校という姿にとらわれず、そこで自分が何をつかみ直したいのかに目を向けてみるといいかもしれません。

入試制度も子どもたちにとっては大きなストレスかもしれませんが、それで人生の何もかもが決まるわけではありません。どこに行くかより、何を学んでどう生きるかの方が大切だし、社会に出れば「どこを出たか」より、「何ができるのか」で測られるのです。学校は通過点ですが、子どもにとっては気になる通過点ですよね。日本の教育システムが決して成功しているとは言えない現代です。モッチーは、その中で息が詰まっている子どもたちと、どう生きるのがいいのだろうと一緒に考えてゆければいいなと思っています。

■第13回 自分に自信がない…

Q:自分に価値なんてあるんかなぁ?どうせ私なんて、何をやってもだめなんだよ。いなくなっても誰も気にしないよね…。
価値もない私なんかが親を泣かせたり、病院にかかってお金使ったりするより、もういなくなった方がいいんじゃないかなって思うけど、死ぬ勇気もない。いつまで生きていなくちゃならないのかな?

A:自分が受け入れられない、理解されない、そんな気持ちが自分を占領してしまう時、ほかの人はみんな、何か一所懸命になれる事があるように見えて、楽しく生きているように見えて、いろいろな能力を持っているように見えて、落ち込む事がありますね。そのくせ、「明るくないと仲間に入れてもらえない事への不安から、外面だけは明るく振る舞って」「そんな自分の嘘っぽさへの自己嫌悪」の渦の中で息がつけなくなってしまっているのではないでしょうか。

本当はいつも自信を持って生きている人なんていないんだろうけれど、やっぱり「自分は…」って思っちゃう。「自信を持ったらいいじゃない!」「もっと自信を持って」って言われるけれど、気持ちってなかなか思うように動いてくれないですよね。

思春期にはふと「自分がいなくても世の中かわらないんじゃないか」って感じることがありますね。確かにあなたがいなくなっても地球は回り続けるし、列車もバスも動き続けるでしょう。でも、あなたに少しでも関わった多くの人は、あなたがいなくなったことで、全く変わらないなんてありえませんし、場合によってはそれがその人の一生を左右することもあります。

自分に価値がないような気持ちにとらわれてしまったときには、自分の好きなことがあれば、まずそれを大切にしてほしいと思います。出来るか出来ないかはやってみないとわからないし、生きる価値があるのかどうかなんて、生きてみてしかわからないのです。生きるのがあまりに辛くなっても、やっぱり生きていてほしい…生きてみないことには、その先どうなるかも分からないから。でも辛すぎたら、ちょっと避難して、自分を休ませてあげてください。

好きなことが見つからないときは、少しでも「気持ちいい」や「安心」をものさしにして、自分にとって大事に思えるものをそっと見つめてみてください。

「人から認められること」が自分の価値を決めるように感じている人は、まず自分自身が自分を認めること。「不完全なものとしての個性と姿」を持って生きている自分を受け入れること、<不完全な自分>を誇りを持って、<広大な宇宙に唯一の自分>と認めることがスタートだと思ってみましょう。

■第14回 ハマってます!

Q:私は今、お笑い芸人の追っかけにハマっています。バイト料を貯めて出待ちをしてプレゼントを渡すときは本当に幸せなんです。
でも、親は「いい加減にしなさい」とか「バカなことにお金を使うのはやめなさい」とか言うし、しまいには成績が悪いのまでそのせいにするんです。誰にも迷惑かけてないのに、何で怒られるのか分かりません。
お笑い芸人って実はすごく人間見てて、深く考えてるんだって事、親は分からないんです。

A:あなたがいま大切に思っているものを、親は「バカなこと」と決めつけてしまって、認めてくれないのですね。でも、あなたにとってはそのことが今はかけがいがないのでしょうね。

思春期は「自分が理想とする人のイメージ(職業、地位、ファッション、しぐさ、体験など)に同一化して、それになりたいと思う」ことで乗り越えようとすることが多くあります。

そして思春期は本来の同一化ではなく、理想化したアイドルの格好などを真似したパッチワーク型同一性(アイデンティティ)をもつこともあります。それは、「自分が自分でのままで受け入れられる」ということに自信がなく、「自分以外のものになろうとしたり、同じ格好をすることによって仲間意識をもとうとする」ことを背景としているとも考えられます。「自分の拠り所」を自分ではなくアイドルや芸人に求めるということは、自我のあり方としては危機状況にあるといえるかもしれません。

また、思春期は大人社会の持つ様々な矛盾に気づき始める時期でもありますから、お笑い芸人のもつそれらに対する痛烈な批判や大人社会の価値否定に憧れるのも、正義感の一面かも知れません。それらのこだわりは本来一過性であるはずなのですが、それを周囲の反対や無理解がかえって固着させてしまうことがあります。

そう考えると、思春期の大人の価値観とのぶつかり合いも、子どもたちが自分をつかむ過程での危機(アイデンティティークライシス)を抜けるための健全な営みであると理解してみる方がいいのかもしれません。そして大人は、その営みを照らし出す鏡として立ち塞がってくれているのかもしれないと考えてみることもできるでしょう。そう考えることによって、親子関係の緊張や教師―生徒関係の緊張はずいぶん軽減できるのではないかと思います。

■第15回 ネットゲームの毎日

Q:学校から帰るとすぐにゲームしてます。ネットゲームにはまって、ずっとしていると親に怒られるけど、他にすることないし、テレビよりずっと面白い。別の自分が、別の場所で生きられるし、他の人との会話だって自分じゃないキャラで楽しい。学校にいるときも、たいていネットのことを考えてる。
あとブログやってて、そこに結構いろんな人が来てくれて、学校の友だちとは違って、なんか自分を大事にしてくれるっていうか、気持ちいいんだよね。

A:ネットの世界って面白いよね。欲しい情報は検索一つで出てくるし、おもしろいことが次々に出てくる。楽しい遊びも、優しい仲間も、自分を表現する場所も、すべてネットの世界で手に入る。ネットにつながったパソコンやケータイは、魔法の杖のようです。

でも、心配していることがいくつかあります。

ネットの世界で遊んでいると、あまり疲れも感じず何時間でもやり続けられる感じがしませんか?操作をしながら画面を見るということは、脳の興奮状態がずっと続くらしく、疲れや空腹の感覚が麻痺してしまうようです。実際には、体は疲れて弱っているのに、それを感じられないのです。ネットゲームを50時間以上やり続け、亡くなった方もいます。

ネットから離れるとイライラして不機嫌になったり、乱暴になったりすることはありませんか?これは、脳が興奮しつづけた影響といわれています。ネットという魔法は、気付かないうちに体と心に大きな負担を強いるのです。

現実の世界で出会う人とネットの世界で出会う人との違いに気付いていますか?

現実の世界の人たちは、なかなか本心が見えないけど、ネットの世界の人たちは、気持ちが見えてわかりやすい。そんな感じがしていませんか?会って話すよりずっと情報量が少ないのに、ネット上の相手の本心が見えるのはなぜでしょう?それは、得られた情報から全体像をイメージしようとする脳の働きによるものなのです。情報が少ないほうが、イメージがはっきりして、相手をよく理解できた感じがします。たくさん情報がある身近な人でも全てを知ることなどできっこないのに、ネット上の相手にはそれができたように感じる錯覚に陥ります。さらに、ネット上では気の合う人だけ相手にし、嫌な相手は無視できます。ネット上の人付き合いのほうが楽ですよね。

でも、人と付き合うことは、楽しいことばかりではなく、嫌な気持ちがしたり、めんどくさかったりするほうが、ほんとうなのだと思います。
ネットの世界だけで、これからのあなたの人生は終わりません。

ネットの魔法では手に入らない本物の幸福や満足を手に入れたかったら、身近な人たちとたくさん話し、たくさんぶつかり、たくさん楽しんでみてほしいなと思います。